ちった図書室 ~Bibliothèque de Cittagazze~

手当たり次第に読んだ本を手当たり次第に記していこうという、意気込みだけは凄い図書室。目指すは本のソムリエです。

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『デカルトの密室』

以前読んだ時とは、ずいぶん受け取り方が違っていて我ながら驚いた。
まだまだ未来の話、として受け取っていたからかもしれない。

なるほど、初読から6年が経った。
「私」は6年先の未来に来たのだ。


これは「知能(インテリジェンス)」についての物語だ。

知能とは何だろう?


作者から投げかけられた問いは同じなのに、どうして「私の視点」は変わったのか。
「私」だけじゃない。
社会も変わった。

AIについてのニュースが毎日流れる。
掃除機は床の材質に応じて部屋を綺麗にしてくれる。
毎週届くパーツを組み立ててれば誰でもロボットが作れる。
携帯型の電話機は音声操作のアシスタントがユーザーの求めに応じてくれる。
SONYの犬型ロボット“aibo”は12年ぶりに新型が発売されたばかりだ。

挙げだしたらきりがない。
私の受け取り方が違ったとしても当然ではないか、とも思う。
しかし、ここまで「視点」が変わるとは自分自身驚きだった。

「私」と「視点」、この二つが物語の大きなうねりになる。
どこに「私」を置き、どこから「視る」のか。

それは、どの物語でも同じだけれど、これほどダイレクトに投げかけてくる作品は少ない。
多用される 「ぼく」 という一人称。


物語は自律型ロボットの「ケンイチ」が殺人を犯す、というショッキングな事件を発端とし、走り出す。
それは殺された……否、自殺した人間の人格をネットの世界に解き放つ、という計画の一部に無理矢理組み込まれてしまった事だったのだが……。
それでも「ロボットによる殺人」が実行された事に変わりはない。


まだまだ未来の出来事。
そういう描写も多いけれど、「ロボットによる殺人」は「まだまだ未来」と果たしていえるのだろうか。
試しに「自律型AI」でGoogle検索を行ったところ、「自律型兵器」「人を襲う」などのワードが真っ先に、そして大量にヒットした。


「(略)きみたちはまだ身体と脳という二重の密室に閉じ込められ、その内部からでなければ世界を見ることができないのだから」


作中、自律型ロボットの礼賛者が放つこのセリフに、以前の私は大いに反発した。
それは作者も同じ事で、多くのことばを使って否定する。
私の姿勢も変わらない。

しかし、ひとつだけはっきりしたことがある。
「どちらでも良い」のだ。
「人間」も「ロボット」も、どちらでも「自由」で、閉じ込められてなどいない。

ロボットの「ケンイチくん」は 『指輪物語』 のサムのセリフを自らの解釈をもってなぞり、上記の発言者をたじろがせる。
そのセリフには、それだけの力があった。
それに、ネットに解き放たれたはずのゴーストの真意もまた……。


これは「知能(インテリジェンス)」についての物語だ。

知能とは何だろう?


それはきっと「視点」にあるのだと今は思う。
立場によって、経験によって、感情によって変わるもの。

だから物語を読むのは面白く、生きている事は面白い。






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| 瀬名秀明 | 06:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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