ちった図書室 ~Bibliothèque de Cittagazze~

手当たり次第に読んだ本を手当たり次第に記していこうという、意気込みだけは凄い図書室。目指すは本のソムリエです。

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『数えずの井戸』

夜半に何かが起きて、菊が死んだ。直ぐに小姓が報せに走り、菊の母と米搗きの男が屋敷を訪れた――そこまでは確かなようだった。
その後。
一体何があったのか。
誰にも判らなかった。



最後まで読んで、一番始めから読み返す。
数え切れないお皿と同じように。

青山播磨は「何かが欠けている」と思う。
勘が鋭いのだろう。
事の本質を、知らず知らずに感じ取っていたのではないか。

一方、菊は満ちている。
数えるから足りなくなる、おかしくなる。
様々なことは移り変わるけれど欠けはしないのだと、どこか悟ったような娘だ。


足りぬから。欠けているから。永遠に満たされぬから。だから数え続ける。数えても数えても数え切らぬ――。


二人を取り巻くのは、「数えること」を気にする人々。
多い、少ない、壊してしまえ。

数えることは「暮らすこと」であったりもする。
「こだわり」「執着」、それが数えても数えても足りないものではないだろうか。

数えても数えても足りないもので「満ちて」いる青山播磨の屋敷に、菊が奉公に上がることになった。
だから、惨事が起きてしまったのではないかと思う。


こうして。
菊と播磨はおはなしになった。



ある人々の贖罪の気持ちがそれを招いたのなら、皮肉だ。
それこそ、数え切れぬほど。





| 京極夏彦 | 06:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『鉄鼠の檻』

ああ、また「檻」だ。
『デカルトの密室』 以来、私はずっと檻の中に居るような気がする。
いや、檻の中に居るのだと気づかされたのだ。

世の中に不思議な事はないと京極堂さんは言うけれど、私には不思議な事だらけな気がする。
だって、こんなにも「閉じ込められて」いるから…。
閉塞感と迷い。
「山から降りられない」人達を私は他人事とは思えなかった。

「檻」から出よう、と私はもがく。
でも、「檻」の外に出るのは怖かったりもする。


「拙僧が殺めたのだ」


脳という檻から出る方法が、禅であり、悟りなのだという。
だとしたら「デカルトの檻」は破れるのかもしれない。

しかし、一つ大きな罠がある。
「魔境」だ。
本当に「悟った」ならば「受け流す」事ができるはずだ。
そして、その後こそが大切なのだという事。

人は迷う、妬む、嫉む、僻む、疑う……。
それが「檻に巣食う鼠」である。


「だから拙僧が殺したのだ」


また一つ、新しい「檻」に気づいてしまった。




| 京極夏彦 | 21:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『巷説百物語』

りん、と御行の又市の鈴(りん)が鳴る。
あやかしが霧散する。
天へ還っていく。

百物語を書くために日本中を見聞していた山岡百介が出会ったのは、脛に傷もつ情に篤い小悪党共。
事触れの治平、山猫廻しのおぎん、そして江戸一番の大嘘吐き小股潜りの又市を中心にした面々。

決着のつけ方やり方は痛快そのもの。
けれど、どこか切ないやるせない。

「悲しいやねえ、人ってェのはさぁ」

それでも人は生きていく。
善人も、悪党も、変わりなく。





| 京極夏彦 | 05:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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